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歯科医師 生涯歯医者 山内浩司

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リビングデンタルケア歯科医師の山内です、よろしくお願い申し上げます。今回この駒沢通り沿いのデンタルオフィスを自費・私費だけの歯科医院にさせて頂いた理由の一つをお話ししたいと思います。

現在も私は東京都での登録の健康保険医です。ですので保険医療機関では保険の治療も可能です。でも今回の開業は自由診療にこだわってみました。そのなぜかについて簡単に記しておきたいと思います。

私には上地一範という宮古島出身の親友がおります、正確にはおりました。彼は志半ばで他界いたしました。これに関しては大変残念で、私の人生においても多いな影響がありました。もちろん現在進行形です。なにしろ一緒にかりゆしを着て宮古の浜辺でビールを飲むのがほぼ正確に描けていた僕らの老後だったんですから。

その彼が歯科大歯学部を卒業してわずか5年で沖縄国際通り沿いに歯科クリニックを開業しました。もう20年以上も前になるかな。彼は病気を見つけて診療報酬を得るいわゆる出来高制の日本の保険制度に疑問を持っていました。

「山内、お前はおかしいと思わんか、もっといい方法があってさ、必ず長持ちして患者さんもきっと喜ぶ治療法があるにしてよ、それでも保険のルールで決められたことだけしてりりゃいいのか?」

「なあ山内、聞いてくれ。俺ついに保険やめたさ。さあ乾杯しよな。」

今でもやつが目に浮かびます。目頭が熱くなります、思い出すたび。

でも当時の私は彼の考えに反発していました。患者様の費用負担が少ない保険診療を丁寧にしていくことが良心じゃないのか、と。もちろん今でもその一念はあります。

しかし昭和36年に施行し概略が変わらない制度ゆえ完璧もありません。現在もなお健康保険では予防科目がありません。日本人成人の8割が歯周病?そんなの病気?歯医者はそんなに無力なの?・・・

 

ともかく上地は私が保険診療中心で一日20名からの患者様の歯科治療に携わらせていただいていた時期に若干30歳そこそこで自費診療に漕ぎ出しました。これはものすごい勇気のいることなのです。若い家族の生活のことも心配な時期です。でも彼は自分の意思に従い挑戦していきました。当然収入も安定せず、ずいぶん私も心配したものです。他界する44歳まで彼の戦いは続きました。

今私は50歳を迎えました。男の最初の更年期も経験し、子供たちは大学生。トラックの運転手が女子大生に恋をして、憧れて入学した大学が縁あっての歯学部でした。そんな私の天職は歯医者です。今こそ私も自費診療の海原に漕ぎ出したいと思います。カズ、見ててくれな。(Koji Yamauchi@軽井沢)

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